刑務所に、行ってきました。

ご無沙汰しておりました〜。
タイトルの通り、刑務所に行きましたが
刑務所で長く過ごしていたわけではありません(汗)
ブランクがあったのは、また長い間スイスに長いこと行っていたもので。

さて、刑務所。
刑務所は普通、なかなか入ることができません。
なんらかの目的がなければ、多くの囚人と話す事もないでしょう。

今回、色々な人と話す貴重な機会を得ました。
他の人たちはほとんどドイツ人(ちょっとだけスペイン人やフランス人も)
だったので、見るからにアジア人の私は、囚人たちの目にも目立ったと見え、
興味深げに寄ってきた人たちに取り囲まれました。

『どこから来たの?ドイツ語話せるんだ!
東京出身!すげ〜!! 一度行ってみたい街だよ』
20人程居た彼らの、ほとんどがドイツ人ではありません。
ロシア人、ポーランド人、トルコ人・・。

トルコ人の男の人は、
トルコじゃなくてドイツの刑務所に入れてよかった、と言います。
『トルコの刑務所は厳しくて有名なんだ。日本も厳格らしいね。
ここじゃあ、俺の房にはフラットスクリーンの巨大なTVもあるしさ。
月に1回、彼女が訪ねてきたら、監視の無い部屋で過ごさせてもらえるんだ』

監視の無い部屋がある!! 
これには驚きました!
日本の刑務所事情は知りませんが、こんな機会が与えられるなんて!
(TVはあると読んだことがあります。
(かなり詳しくこの辺りの事情が読めるのが、花輪和一の『刑務所の中』。
かなり読み応え、見応えたっぷりで、イチオシ!!の漫画です))

ロシア人のでっぷり太ったお兄ちゃんは
すっごくユーモアたっぷりに、色々な話をしてくれました。
頭もきれて、優しくて面白くて、とても勉強熱心です。
政治から、哲学書から、ありとあらゆる本を読み尽くし、論文なども書いているよう。

ポーランド人の男の子は、まだ20にもなっていません。
ドイツの学校をドロップアウトし、
『学歴が無ければ、ドイツではろくな仕事がもらえない。
ろくな仕事がなければ、また、絶対馬鹿なことをやってしまって
ココに戻ってくるはめになる。ポーランドに帰って親父の工場で働かせてもらうよ。』
と言います。

やっぱり、ギムナジウムやリアルシューレなど、学校システムを
最後まで終了できなかった人は、のちのち問題を抱えるのだなあと
ちょっと同情したところ、
『ギムナジウムを辞めさせられたのは、学校内でクスリの売買をしていたから』
しょうがない、と笑っていて、思わず、うなずいてしまいました。
彼は、ストリートギャングの仲間に入って、盗みやクスリの売買などを
行っていて、捕まったそうです。
刑期は2年。他の人たちは10年、15年、と長かったので、短いね、と言ったら
『外の2年は、あっという間だけどね。中の2年は信じられないくらい長いよ』
と言います。

こういったら失礼なのですが、
見るからに『囚人』らしい人はあまり居ませんでした。
皆、本当にフツウ。でも、フツウってなんでしょう。
Tシャツ姿になったら皆ムキムキでしたが・・・。
(体格が貧弱な人は、いじめの対象になる事があるらしく、
皆、体を鍛えているらしいです)

一人、とても目つきの怖い人もいましたが、
彼は、言葉少なで、控えめに自分の罪を語っていました。
『今、自分は酷い事をしたと知っている。悔いている。
それを、自分の考えている事を叫びたい。それを、外の人に聞いてもらいたい』

外の人に出会う機会が少ない囚人たちは
何時間でも、人と話していたいようで、話し出すと止まりません。
『日本のことを教えて』『また来て』『日本語で俺の名前を書いて』
たわいない会話でも、目を輝かせています。

『もう30分過ぎている。さっさと出ていけ。出口は向こうだ。』と
命令口調の刑務所監視員が、私を小突き、出口を指差しました。
ビッテ(お願い)もダンケ(ありがとう)の言葉もなし。
普段から、命令することだけに慣れている人たちの口調です。

刑務所から出る事ができても
7割の人は、また刑務所に戻ってくると聞きました。
絵画や彫刻などアートを教えるコースもあり
(知り合いがこの仕事をやっています)
パン屋などの職を教え、出た後の社会復帰も考えられてはいるようですが
なかなかうまくいかないのが現状のようです。

直接会って、話していると
皆それぞれに魅力的で、面白い人たちばかりなのに・・
でもこれはあくまでも、その一面なのだろうとか、
色々悶々と考えてしまい、
何度も刑務所の夢を見てしまいました。
また、機会があれば、会ってみたいと思っています。
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by berlinbau7 | 2007-07-07 23:21 | ベルリンのこと


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