11月9日。

11月9日。

これはベルリンにとってとても大きな意味を持つ日です。
そう、ベルリンの壁が倒れた日なのです。
1961年、8月13日。
信じられないことですが、たった1日で作られてしまった壁。
鉄条網や土嚢を積んで作った、間に合わせの壁であっても、それは西と東を分断する、
強い意味を持つ、分厚い壁が、その1日で作られてしまった感じがしたと言います。

壁を越えようとした人の話は色々あります。
映画にもなった、有名なトンネルの他、
傘を広げて、壁に隣接するビルの窓から飛び降りようとしたおばあちゃんの話や、
トラバントに隠れて逃げ出した人の話、
飛行機でピックアップした話、
すごいのでは、電車の運転手さんが自分の家族を乗せて(もちろん他の乗客も)
もともと西と東をつないでいた路線の
線路上にある通行止めの木枠をぶっちぎって
電車を走らせて西側まで走った話なんかもあります。

この壁崩壊にも
実は秘話?があります。

東側のひとたちが検問所に殺到し、壁がオープンになった映像は
色々なところで報道されましたが、
実は、これはある政治家の失言がきっかけだったという話です。

東独側としては、
壁を大々的にオープンにする気はなくて
西側への旅行、通行はOKですよ、とする予定、だったそうです。
それで、新しい旅行法を作ったのですが・・。

1989年11月9日。
イタリアの記者が、
東側から、西側への旅行がOKになるという、東独の新しい旅行法を読み上げた
東独のスポークスマン、ギュンター・シャボウスキーに質問をしました。
『いつからその旅行に対する法律は有効になるんですか?』
シャボウスキーは
『えー、それはここに書いていないんですが、
私が思うに、今すぐから有効でしょう。』
と返答。

数分後、この映像は『壁が崩壊した』というニュースとともに
世界中、大々的に報道され、東独市民が検問所と壁に押し掛けたというわけだそう。
明日には法律が変わるかもしれない!と市民も慌てたのでしょう。
検問をしている人も、
わけがわからず、もう開けちゃえ!という感じだったですよね。
当時の映像を見ると、検問所の人たち、
顔が戸惑っている感じです。

ベルリン市内に住んでいた友達数名に尋ねたところ、
皆、すぐさま、壁の側に行ってみた、電車で西側に行ってみた、と言っていましたが
郊外に住んでいて、家にTVが無かったという友達は
『朝、学校に行ったら、皆が、壁が崩壊したんだぜ!と言うから、
帰ってお母さんに報告したら、嘘つくんじゃありません、とひっぱたかれた』
と言っていました・・。

シャボウスキーはこの後、
東独政府から大ひんしゅくを買ったそうです。。
というか、ちゃんと内容が分かってない人をなぜスポークスマンにしたのか?
まあ、結果的には終わりよければ・・?かな?
まだドイツの歴史は終わってませんが・・。
色々あっても、やはり、東独は終わってよかったのではないかと思います。
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by berlinbau7 | 2006-11-09 21:37 | ベルリンのこと


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